小雪

今日11月22日は小雪です。

 

小雪(しょうせつ)は、二十四節気の第20。
十月中(通常旧暦10月内)。

現在広まっている定気法では太陽黄経が240度のときで11月22日ごろ。
暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。
恒気法では冬至から11/12年(約334.81日)後で11月21日ごろ。

期間としての意味もあり、この日から、次の節気の大雪前日までである。

 

季節

わずかながら雪が降り始めるころ。
『暦便覧』では「冷ゆるが故に雨も雪と也てくだるが故也」と説明している。

 

七十二候

小雪の期間の七十二候は以下のとおり。
 初候
  虹蔵不見(にじ かくれて みえず) : 虹を見かけなくなる(日本・中国)
 次候
  朔風払葉(きたかぜ このはを はらう) : 北風が木の葉を払い除ける

                               (日本)
  天気上勝地気下降(てんき じょうとうし ちき かこうす) :

                                 天地の寒暖が逆になる(中国)
 末候
  橘始黄(たちばな はじめて きばむ) : 橘の葉が黄葉し始める (日本)
  閉塞而成冬(へいそくして ふゆをなす) : 天地の気が塞がって冬となる

                               (中国)

                   (Wikipediaより)

 


 

11月23日頃(平成29年は11月22日)。
および大雪までの期間。
太陽黄径240度。
立冬から数えて15日目頃。

 

北国から雪の便りが届く頃ですが、まだ本格的な冬の訪れではありません。
雪といってもさほど多くないことから、小雪といわれたものだそうです。

陽射しが弱くなり、紅葉が散り始める頃。
いちょうや柑橘類は黄色く色づいてきます。
次第に冷え込みが厳しくなってきますので、冬の備えは整えておきましょう。
お歳暮の準備をする目安にも。

※「こゆき」ではなく「しょうせつ」と読みます。お間違いなく。
 

  
気象の「小雪」
気象庁の予報用語における「小雪(こゆき)」は、数時間降り続いても、1時間あたりの降水量が1mmに満たない雪のこと。
※北日本や日本海側の地方で「小雪」の表現が適切でないときは「雪」の表現を用いるそうです。 
  


季節の言葉
霜夜(しもよ)
空が晴れて霜の降りる寒い夜のこと。
                    (日本の行事・暦より)

 

 

きりぎりす 鳴くや霜夜(しもよ)の さむしろに
  衣(ころも)かたしき ひとりかも寝む


   後京極摂政前太政大臣(91番) 『新古今集』秋・518

 

現代語訳
 こおろぎが鳴いている、こんな霜の降る寒い夜に、

 むしろの上に衣の片袖を自分で敷いて、独り(さびしく)寝るのだろうか。
                    (百人一首 講座より)
 

 

at 04:12, 17blog, 独り言(とはずがたり)

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里芋の収穫

11月17日

 

今朝の空は真っ青です。

 

 

7時54分の気温は4.5℃で

この日(11月17日)のさいたま市の最高気温は13.6℃、

最低気温は2.8℃でした。

寒くなりました。

 

 

里芋の茎が先日の大風で倒れたので掘り起こして収穫します。

 

 

茎を切り落としました。

 

 

こちらの株のも切り落としました。

 

 

根が張っているので掘り起こすのに相当力が要ります。

 

 

小芋が顔を出しています。

この分ですと結構小芋が出来ているでしょ。。

 

 

これだけ出来ました。

 

 

残っている里芋の株はお正月用で残しておきます。

霜にやられないといいのですが。

里芋は霜にやられると、煮ても固くて食べられなくなってしまいます。

 

 

掘り起こした里芋を洗いました。

 

 

早速荷造りして八戸へ送りました。

孫の処には持って行きました。

残りは煮て食べました。

美味しかったです。

フランスに行った孫にも食べさせたかったです。

 

at 03:24, 17blog, 野菜作り

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亥の子餅

今日は、辛亥(かのと ゐ)で「亥の子餅」の日でもあります。

 

亥の子餅

亥の子餅(いのこもち)とは、亥の子に際して作られる餅。
玄猪餅(げんちょもち)、厳重(げんじゅう)とも呼ばれる。
亥の子(旧暦10月(亥の月)の亥の日)の亥の刻(午後10時ごろ)に食べられる。
俳句の季語では冬にあたる。

 

亥の子餅を販売する菓子店があるが、新暦10月よりも旧暦10月(新暦11月)に入ってから販売されることが多い。


形状

名称に亥(猪)の文字が使われていることから、餅の表面に焼きごてを使い、猪ないしその幼体に似せた色模様を付けたものや、餅に猪の姿の焼印を押したもの、単に紅白の餅、餅の表面に茹でた小豆をまぶしたものなど、地方により大豆、小豆、ササゲ、胡麻、栗、柿、飴など素材に差異があり、特に決まった形・色・材料はない。

 

亥の子餅(いのこもち)・玄猪餅

 


歴史

 

概要

「古今要覧稿」(明治38年〜40年刊行)に亥の子餅の項目があり、「蔵人式」(橘広相撰)の中に、禁中年中行事の一つとして記されている。
橘広相は貞観年間に存命していたことから、いつごろから、亥の子餅に関する行事が行われていたか定かではないが、貞観年間には宮中行事として、行われていたと推察される。

 

宮中の年中行事

かつては、旧暦10月・上亥日に禁裏では、亥の子餅を群臣に下賜していた。

能勢からの亥の子餅が献上されていたが、宮中においても亥の子餅が作られた。
官職の高低により、下賜される亥の子餅の色(黒・赤・白)と包み紙の仕様に厳格な決まりがあった。
亥の子餅の色は、公卿までは黒色の餅・四品の殿上人までは赤色の餅などである。
また、三回にわたって、亥の子餅の下賜があったが、三度とも同じ色の餅ではなかった。
賞玩のために色(黒・赤・白)を変えていたという。

 

室町幕府の年中行事

室町幕府の年中行事として、旧暦10月・上亥日に亥子祝い・玄猪餅進上があった。

 

江戸幕府の年中行事

江戸幕府の年中行事として、亥の子を祝する行事(玄猪の祝い)があった。

10月朔日(ついたち)は玄猪の祝いを行う。
この日より囲炉裏を開いて、炉で鍋を焼き、火鉢で火を盛る習慣があった。
幕府では、大名・諸役人に対して、10月朔日、七つ半(午後5時)に江戸城への登城を命じ、将軍から白・赤・黄・胡麻・萌黄の五色の鳥の子餅を拝領して、戌の刻(午後7〜9時)に退出する。
玄猪の祝いに参加する将軍・大名・諸役人の服装は熨斗目長裃(のしめながかみしも)と規定されている。
また、この日の夜は江戸城の本丸・西の丸の大手門・桜田門外・下乗所(げじょうしょ)に釣瓶(つるべ)式の大篝火(かがりび)が焚かれる。

 

 

摂津国能勢における亥の子餅

概要

明治3年(1870年)まで、摂津国能勢(のせ)(現在の大阪府豊能町)にある木代村(きしろむら)・切畑村(きりはたむら)・大円村(おおまるむら)から、毎年、旧暦10月の亥の日に、宮中に亥の子餅を献上していた。
そのことから、能勢には亥の子餅に関して以下のような伝承が伝わっている。

 

伝承

仲哀天皇9年12月に神功皇后は、自ら将帥となり、三韓に出兵した。
筑紫に還啓された後、皇太子(応神天皇)が誕生した。

仲哀天皇10年、2月に穴門・豊浦宮を出発し、群郷百僚を率いて海路をとり、大和に凱旋する途中に、皇太子の異母兄である香阪(かごさか)・忍熊(おしくま)の二王子が、やがて皇太子が即位することを嫉(ねた)んだ。
二王子が相謀り、皇太子を迎え討って殺害しようと大軍を率いた。
上陸するのを待つ間、戦の勝敗を卜(ぼく)して(占って)、能勢(大阪府)の山に入り、「祈狩」(うけいがり)を催した。

「戦に勝つならば、良獣を獲られるであろう」と言っていたが、まもなく、大猪が現われ、香阪王に飛び掛った。
香阪王は驚いて、近くの大樹によじ登ったが、猪は大樹の根を掘り起こし、遂に香阪王は死亡した。
忍熊王はこの事を聞き、怪しみ恐れて、住吉に軍勢を退いた。

神功皇后はこの事を聞かれて、武内宿禰に忍熊王を討伐を命じた。
忍熊王は戦に破れ、山城国宇治に退き、さらに近江国瀬田に逃れたが、死亡した。
これにより、皇后・皇太子は、無事に大和の都に凱旋した。
その後、神功皇后が崩御し、皇太子(応神天皇)が即位した。
応神天皇は、皇太子の時に、猪に危難を救われた事を思い出して、吉例として、詔を発して、能勢・木代村、切畑村、大円村より、毎年10月の亥の日に供御を行うように命じ、亥の子餅の献上の起源であると言い伝えられている。

 

調理過程

能勢から、宮中へ献上される亥の子餅(能勢餅(のせもち)とも言う)(近世ごろ)の調理方法が「禁裏献上 能勢のおいの子」に記載されている。

10月に入ると、猪子役人の当番の者が御所御賄所に出頭し、御用の数を伺う、「合数伺い」を行う。
この時に、御賄所より、その数(合数)を記した御書付を下される「御書下げ」があり、調理準備に入る。

1合とは、1箱のことである。
献上の数は一定していないが、約100合から150合である。

亥の日7日前になると、献上する亥の子餅を作る家には、亥の子餅を調理する場所・道具・使用する井戸を木代村では、真言宗・善福寺(どんどろ大師善福寺)、切畑村は法華宗・法性寺の僧侶を請じて、それぞれ清めの加持を行った後に調理が始まる。
1.糯米(もちごめ)を洗い清めて、水に浸す。
2.蒸篭(せいろう)に入れて、糯米を蒸す。
3.別に小豆(あずき)を蒸した糯米に合せる。
4.合せた糯米を挺樋(ねりおけ)と呼ばれる四斗樽の樋に投じて2本の棒を用いて「エイエイ」と掛声をしながら、こねつける。

 やがて、淡紅色の猪の色に似た餅が出来る。
5.長さ6寸・幅4寸・深さ1寸5分の箱に餅を詰め、別に煮た小豆の釜に沈殿した餡を流しかける。
6.餡を流しかけた餅の上に、薄く切った方形に切った栗の実を6個並べ、その上に更に、熊笹の葉2枚で覆う。

 餅は猪肉、栗は猪の骨、熊笹は牙を模しているという。

 

関連項目

花器・御玄猪

華道の池坊で使用される花器の一つに、御玄猪(おげんちょ)があり、金属製である。
この御玄猪は池坊四十一世専明が考案した。
亥の子餅は、丸三宝の上に載せられていた。
これをもとにして薄端花器を考案して、銘を御玄猪とした。

 

御玄猪(鉄)

御玄猪(鉄)

池坊伝統の生花花器

四十一世池坊専明が草案した薄端花器で、池坊独特の伝統ある生花の花器。

(この項 池坊フラワーショップより)

昔、宮中で正月の亥の日に豊作を作る祭が行われ、その供物用に使われた円三方を写し、花器としたものと伝えられる。
生ける際、銘は後ろの副方に向けて置きます。

 

                    (Wikipediaより)

 

 

 

boar-cake

 

亥の月(旧暦10月)の亥の日の亥の刻(午後10時頃)に食し、無病息災のまじないとした中国の俗信に基づいて、平安時代に宮廷の禁裏にて行われたのが始まりと云われております。

紫式部の『源氏物語』では、光源氏と紫の上の巻にて、亥の子餅が登場する場面があり、 古くは、大豆、小豆、大角豆、胡麻、栗、柿、糖(あめ)の七種の粉を入れた餅をついたと記されております。

 

鎌倉時代に入り、武家にも同じような儀式が広まり、猪(いのしし)は多産であることから子孫繁栄を願う意味も含まれ、亥の子餅を食したと云えられております。

 

江戸時代には、亥の月の最初の亥の日を玄猪の日と定め、玄猪の祝いともいわれていました。

このため、亥の子餅(いのこもち)を玄猪餅(げんちょもち)とも言います。

 

また、亥は陰陽五行説では水性に当たり、火災を逃れるという信仰があります。

 

このため江戸時代の庶民の間では、亥の月の亥の日を選び、囲炉裏(いろり)や炬燵(こたつ)を開いて、火鉢を出し始めた風習ができあがりました。

 

茶の湯の世界でも、この日を炉開きの日としており、茶席菓子として「亥の子餅」を用います。

 

 

甘春堂の亥の子餅は白餡と粒あんの二重餡を、羽二重粉の求肥に白ごまを混ぜて包んだ季節の和菓子としております。

まもなく寒くなり大晦日にも迫る季節、猪にあやかり、亥の子餅を食べて、火災の厄除け子、孫繁栄を願う一日はいかがでしょうか。

                   (甘春堂より)

 

at 04:18, 17blog, 独り言(とはずがたり)

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武蔵一宮 氷川神社 明治天皇御親祭百五十年記念奉納行事「稚児行列」   お土産をいただいて

10月21日

 

社務所で着替えて

 

 

お土産をいただくのにお父さんと

 

 

新しくできた埼玉縣神社廰に入りました。

 

 

かず君よく頑張ったね。

ここでお土産をいただきました。

「稚児社参」

 

 

かず君は、いただいたお土産を持ってお父さんと一緒にマンションに帰りました。

舞ちゃんはベビーカーに乗っていました。

 

at 04:03, 17blog, 初孫

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武蔵一宮 氷川神社 明治天皇御親祭百五十年記念奉納行事「稚児行列」   無事終えて

10月21日

 

稚児行列一連の行事を無事終えて社務所に戻ります。

 

 

おばあちゃんに手を引かれて着替えに戻ります。

かず君、雨の中よく頑張ったね。

 

 

下町の山車ではひょっとこが踊っています。

 

at 03:04, 17blog, 初孫

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